医学部は論文ねつ造が多いのか?

 報道される記事を見る限り、研究の不正は医学部に多いように感じる。次の2例は、多額の資金を使い、複数の大学で多数の研究者が関与した研究で起こった重篤な事例である。

2014110日、臨床研究「J−ADNI」を巡り、不適切な患者のデータが含まれているとする内部告発があり、厚生労働省は調査を開始したことを明らかにした。J-ADNIはアルツハイマー病の早期発見を目指し全国38の医療機関が参加する国家プトジェクトである。2007年に発足し、国の公的資金30億円以上を費やしてきた。この件に関して、厚生労働省内部告発者保護法に違反するような行動を取っていた。20131118日、厚生労働省に届いた告発メールを担当専門官(医師)は、実名入りのまま無断でJ-ADNIの代表研究者である東大の岩坪教授に転送。岩坪教授は、「問題はなかった」「知らなかった」などど発言し、告発者のことを「妄想チックになる激しい人」と評し、プロジェクト外の研究者にも「グループ内の一人の不満や極端な話」と釈明メールを送っていた。告発者の名が業界内で知られてしまい、告発者は「私が悪者で研究の信頼性を損なわせたという評価が研究者の間に広まった。名誉毀損だ。厚労省は疑惑をもみ消そうとしているのでは」と反発している。(朝日新聞 2014121日) しかも厚生労働省は、中立な調査ができるとは思えない当事者である東大に調査を依頼したのである。

20134月「降圧剤バルサルタンの臨床試験を巡る京都府立医大の論文撤回問題で、松原弘明元教授(20132月末に辞職)のチームが、201112年に海外の心臓病専門誌2誌に発表した臨床試験の関連論文3本が、いずれも撤回されていたことが分かった。大学が取材に明らかにした。大学によると、元教授のチームがこの薬の効果に関して発表した論文は計6本あり、既に撤回が判明していた3本を含め、全てが撤回された。3000人の患者対象の大規模臨床試験の結果が、何ら論文として残らない異例の事態となった。撤回が判明した3本は、米国とアイルランドの心臓病専門誌に発表されていた。冠動脈疾患や慢性腎臓病などのある高血圧患者に対するバルサルタンの効果を検証した内容。掲載誌は撤回の理由を明らかにしておらず、大学も「理由は把握していない」としている。チームは08年、試験の実施要綱を論文にして英医学誌に発表。この論文には、薬の販売元の製薬会社「ノバルティスファーマ」の社員が、統計解析の責任者として名を連ねていた。だがノ社名の記載はなく、この社員の所属は兼任する「大阪市立大」となっていた。また、ノ社が08年以降、元教授の研究室に1億円余の奨学寄付金を提供していたことが毎日新聞の報道で表面化している。元教授は、今年1月までの大学側の調査に「データ集計のミス」などと説明してきたが、単純ミスなら撤回せずに修正で対応するのが一般的とされる。」(毎日新聞 2013 420)

さらに、514日の記事では「松原弘明元教授が、統計解析に関与した薬の販売元「ノバルティスファーマ」の社員の名を論文に出さないよう、部下に指示した疑いがあることが、関係者への取材で分かった。ノ社とのつながりを隠蔽するためだった可能性がある。大学や日本循環器学会も同様の情報を把握しており、調査している。同チームの論文は、血圧を下げるだけでなく、脳卒中狭心症も抑える効果もあると結論付け、薬のPRに大々的に利用されてきた。研究チームは、臨床試験の実施要綱をまとめた2008年の論文で、ノ社は試験の設計やデータ解析などに無関係だと記し、統計解析責任者2人のうち1人の所属を「大阪市立大」としていた。この人物は、同大の非常勤講師を兼務するノ社の社員だったが、社名は明かしていない。チームは2009年に試験結果をまとめた論文を発表。これには社員の名は記載しなかった。関係者によると、この社員は試験の打ち合わせに出席、統計処理にも関わっていた。しかし松原元教授は部下に対し、論文に社員の名前を出さないよう指示し、社員の関与も他言しないことを求めたという。これらの点について、松原元教授は弁護士を通じて毎日新聞にコメントした。論文に社員名を出さないように指示したり、社員の関与を口止めしたりしたことは「ない」と否定した。2009年の論文は、ノ社によるバルサルタン(商品名はディオバン)の宣伝に使われてきた。一方で、ノ社は松原元教授の研究室に5年間に1億円余の奨学寄付金を提供していたことも分かっており、研究自体の正当性やノ社の関与を疑問視する声が、関係する学会などで高まっている。バルサルタンの臨床試験は、東京慈恵会医大、滋賀医大、千葉大、名古屋大でも実施。いずれもノ社の同じ社員が関与していた。」(毎日新聞 2013 514)

J−ADNIはそのメンツにかけて研究の仮説通りの結果を出したいがため、バルサンタンの場合はノ社の思惑通りの結果を出したいがために、一部の研究者が不正を行ったわけで、組織的に行っていたわけではないと思われる。だが、いずれも組織の体制とデータ管理がいい加減だったのは確かだ。問題発覚後の事後処置もお粗末である。医学部という組織は、実はいい加減で大雑把でだらしがないところがある。緻密で几帳面なことが苦手である。医師は大学の業務や診療で毎日が忙しく、連絡調整や事務的な作業はおろそかになってしまう。私は医学部の大雑把なところは好きなのだが・・・

これ以前の2011年と2012年に公表された論文のねつ造事例をネットで検索すると、個人的な論文不正ばかりであるが、医学部だけで7件引っかかる。琉球大学・教授、山形大学・教授、名古屋市立大学准教授と教授、大分大学講師、独協医科大学教授、東京医科歯科大学助教東邦大学准教授である。一人で多数の論文をねつ造するケースが多く、名古屋市立大学は19本、独協医科大学10本、東京医科歯科大学3本である。東邦大学准教授(麻酔科)にいたってはなんと172本で、日本麻酔科学会によると世界最多だそうである。外国の麻酔学の学術誌に英国の専門家が20122月に投稿した準教授の論文に関する評論が発覚のきっかけとなった。毎日新聞20125.23日配信の記事によると「19912011年にこの医師が実施したとしている約170件の試験データを統計学的に分析した結果、試験対象者の年齢、体格、血圧などの傾向が特定の範囲に集中し、平均的な分布と大きく異なって、本来あるはずのばらつきがなかった。評論は、こうしたことはほぼありえないとしてデータの正しさに疑問を呈した。その後、複数の学術誌がデータねつ造や改ざんを示唆した。」とある。それにしても、20年間172本ものねつ造が発覚しなかったのはなぜか?

 普通は論文の筆頭著者は執筆者であり、2番目以降の著者は研究のどこかの段階で関わりを持った人々である。共著者の最後は所属する機関の長または研究の総括者である。医学系の論文は共著者が多いが、この准教授の論文を検索すると、単独または所属機関の長(教授)との二人での共著がほとんどである。教授が実際に研究に関わり教員の論文を精査することはないので、ほとんどの研究・執筆は1人で行っていたのであろう。共著者が多ければ、ねつ造が発覚する機会は早期にあったはずである。

毎日新聞によると「藤井医師は不正論文のほとんどを一人で書いたとみられるが、著者には他大学の研究者や医師の名前が連なる。計55人に上る共著者の多くは、その事実を藤井医師から知らされておらず、結果的に不正に加担したことになった。学会は「論文で紹介している実験はとうてい一人でできるものではなく、複数の機関の複数の著者を入れることで、疑われた時に弁解ができるようにしたのだろう」と推測する。通常なら論文の表紙には著者全員の自筆サインが必要だが、藤井医師が偽造していた可能性もあるという。共著論文の多くに名前を連ねた藤井医師の上司について調査委は「関与しなかったとはいえ責任は重大だ」と指摘。上司は毎日新聞の取材に「話すことはない」と答えた。投稿先は、麻酔学だけでなく多分野の40以上の専門誌。投稿先を使い分け、一つの雑誌に投稿が集中し疑われることを避けたと見られる。「あたかも小説を書くごとく研究アイデアを机上で論文として作成した」調査報告書はこう結論づけた。 

また、ねつ造とはいえ172本もの論文を筆頭著者として書いたことにも驚く。年に平均8.6本のペースである。この医師は麻酔科医としての診療の合間に書いたことになるが、毎年1本ずつ書くだけでも大変なのに、常識ではあり得ないハイペースである。一般的に論文は、筆頭著者ではなく共著者であっても業績として認められる。この医師は一体何のために論文のねつ造を続けたのだろうか?「昇進して教授を目指していたのではないか。」2012829日の会見で、調査特別委員長の澄川耕二・長崎大教授は捏造の動機をこう分析した。准教授であるから教授を目指していたのは間違いないであろう。教授選は業績だけで決まるわけではないが、多いに越したことはない。特に、他大学の教授選に打って出る場合は、公募している大学の出身者に比べて不利であるから、業績は需要な武器となる。医学部の教授選ではかなりハイレベルな論文数と質が要求されるので、手段を選ばず論文をひたすら増やすことにまい進してしまったのであろう。医学部の教授が狭き門であることの悲劇と言いたいところだが、あまりにも倫理観が欠如していた。

ねつ造を見破るのは至難の業である。公にされるねつ造は氷山の一角かもしれない。研究は思い通りには進まないし、いつも良い結果が出るとは限らない。でも、論文を仕上げなければならない時に、誰しもデータを改ざんしたくなる衝動に駆られる。予想した結果が得られなかった時に、若干罪の意識はあるものの、「これくらいならいいだろう」と都合の悪いデータを削除したり、少しデータをいじってみたりすることはあり得る。データの不自然さを誰からも指摘されなければ(レベルの高い雑誌では、投稿された論文の内容に対して複数の専門家がチェックを行い、その雑誌にふさわしい論文がどうかを判定する)、ねつ造に味を占め、やがて慣れてしまう研究者もいるのだろう。ひとつの研究に関連して、複数の論文が生まれることが多いが、一旦ねつ造されたデータは修正されることはなくそのまま使用される。そしてねつ造の連鎖が止まらなくなり、ねつ造論文が多数出来上がることになる。

教授から助教まで、なぜねつ造してまで論文を増やそうとするのか。それは教員の評価が論文偏重だからである。特に、論文の「質」よりも「量」を重んじる傾向がある。数年に一編質の高い論文を書くよりも、毎年論文を書いて論文数を増やすほうが高い評価を得られるのである。