医師の一斉退職という爆弾

  名古屋大病院で救急科の医師21人のうち半数近い9人が2016年3月末で一斉に退職した。名大病院は他の診療科の医師の応援を受けるなどして、救急患者の受け入れ体制を維持し、影響が出ないようにする。病院側は4月中に学外有識者を交えた調査委員会を設置、退職の経緯を調べて対策を検討する。名大病院によると、研修に来ていた他病院の医師が戻ったり、出身地に帰ったりするほか、1次・2次医療機関へ移る医師がいたため、退職が重なった。また、若手の一部から救急科の職場環境や救急医療の方針に対する不満などを指摘する声もあるという。救急科には4月に2人の医師が新たに加わる予定で、内科や外科などの医師も応援に入るという。名大病院は「救急患者の受け入れに影響がないようにする」としている。(読売新聞yomiDr 2016年3月31日)

 年度末に医師が一斉に退職したり辞表を出したりする事件は、新聞報道だけでもかなりの件数起っているが、最近は珍しい。

 2009年3月、鳥取大学病院救命救急センターで、教授を含む救急医4人全員が一斉退職した。病院の待遇に対する抗議を込めての退職であった。教授であった八木啓一氏によると「救急設備効率性や院内の診療体制の問題、多忙な業務、その一方での2004年度の卒後臨床研修の必修化以降の人手不足など、実に様々な要因がある」という。教授までもが退職とは前代未聞と言える事態だが、労働環境は過酷であったようだ。八木氏はさらに「辞表を出してからも、これでよかったのかと後悔していました。けれど、12月は私自身4回当直したのですが、12月30日の深夜、交通外傷の患者が救急車で運ばれてきました。両側の気胸、肝破裂、骨盤の骨折などがあり、本当に重症の患者さんでしたが、一人で処置をしました。当院のX線CT室は2階にあります。1階にある救命救急センターから、看護師と2人で夜間の暗い廊下をストレッチャーで運んだ際は、さすがにむなしくなりました。処置開始は午前1時で、終わったのは午前5時。体力的にもつらく、救急医を育てるために、ここに来たけれど、この年齢になっても、真夜中、それも年末に一人で処置をしている。私は何をしているんだろうと、辞表を出してよかったと思いましたね。」と答えている。(m3.com 2009年2月10日)

 救急救命科は麻酔科と並んで医師不足が深刻な診療科である。昼夜を問わず急患が運び込まれるので、よりも多くの医師が必要となる診療科である。にもかかわらず救急医がたった4人とは、過酷な職場であったろうと想像できる。救急医不足の原因は、まさにその過重労働にある。医学部入試の面接で受験生が将来の希望を述べるときに、多くの者が「救急救命医になりたい」と答える。TVドラマの影響もあるのだろう、女性でもそう希望する者がいる。しかし、国家試験に受かり研修医を経験してから選ぶのは、残念ながら救急医ではない。しかし、救急医や麻酔医が少ないからといって、医師の専門を強制的に割り当てることはできない。解決法は、医師数全体の底上げしかないように思われるのだが。

 医学部の政治的な混乱に抗議して、医師が一斉退職するという事例もある。2012年3月末に大分大学病院の外科医7人が一斉退職するという事件が起きた。常勤医10人の内の7人が突然退職するのであるから大変な事態である。当然、診療に影響があり、呼吸器外科と乳腺外科では患者の受け入れを中止し診療を縮小することとなった。7人の中には定年退職する教授が含まれているが、その後任の教授が決まらないことと、所属する医学部外科部門の組織統合の動きに不信感を募らせていたことが一斉退職の理由だ。(共同通信 2012年3月19日)

 一般的に、講座の組織統合が行われる場合、内科同士または外科同士のように専門領域の似ている講座を合併する。統合対象となるいずれかの講座の教授が定年退職する時が絶好のチャンスであり、その講座は吸収合併される。医学部の講座は教授を頂点とした封建社会であるから、講座ごとに教授のカラーが色濃く出る。それだけに、講座の合併時はトラブルが発生することが多い。最も大きな問題は吸収される講座の人事である。本来は教授退任に伴って次期教授選があり、各医局員のポストも動くが、合併になればその予定が狂う。特に、次期教授を目指して研究を重ねてきた准教授などは人生設計が大きく変わるわけである。吸収される講座の医師が見切りをつけて退職することは十分にあり得る。幸いにも医師は次の就職に困ることはないし、さらに条件の良い職場を見つけることが可能である。大分大学側は「後任の教授は4月以降に決める方針だった。後任人事が遅れるのは珍しいことではない」と説明している。教授選が遅れることは珍しいことではないが、それが理由で7人も退職する事態は異常である。

 2011年10月から、大分大学の学長は医学部総合外科学第一講座(第一外科)の教授が就任していた。退職した医師らが所属していたのは総合外科学第二講座(第二外科)である。一般的に領域が似ている講座は対抗意識があり、仲が悪いことが多い。勝手な想像だが、教授が学長である第一外科が第二外科を吸収合併するかたちで、話が進行していたのではないだろうか?学長を擁する講座は勢いがあり、人事をごり押しすることがある。第二外科の医師らは病院の診療に影響が出ることを承知で退職し、学長の権力拡大の野望に待ったをかけたのだろうか? それにしても人員の補充は簡単ではあるまい。大学病院での医師の一斉退職は病院にとっても患者にとっても大打撃である。まさに爆弾である。現在は、大分大学医学部は講座が再編されて、一斉退職などなかったかのようである。一斉退職とその後講座の再編によって、思わぬ幸運を得た医師もいるだろう。