東大話法ならぬ医者話法?

(前回から続く  医学部新設反対の医師会と大学病院(2) - 医学部教員の独り言

 医学部新設反対の医者の主張を熟考していると、東京大学安冨歩教授が、その著書「原発危機と東大話法」の中で紹介していた「東大話法」を思い出す。東大話法とは「常に自らを傍観者の立場に置き、自分の論理の欠点は巧みにごまかしつつ、論争相手の弱点を徹底的に攻撃することで、明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのように装い、さらにその主張を通すことを可能にしてしまう、論争の技法であると同時にそれを支える思考方法のこと」だそうだ。ならば、「医者話法」なるものも存在するのではないか。東大話法の使い手は知能が高く頭の回転も早いので、一般人は簡単に丸め込まれてしまう可能性が大である。ところが、「医者話法」は自分の論点の欠点をごまかす技巧は持ち合わせていないので、一般人でも「違うのではないか?」と感じることが多い。「医者が一番偉い、医者は特別な存在である、医者が言えばみんなが納得する」という固定観念に基づいて主張しているので、東大話法と違って理解するのは簡単だ。医師会の役員や大学の教授など、年配の医者にこの傾向が強い。「患者は、医者の意見に絶対に従うべきである」という父権主義(パターナリズム)から抜けきれない人たちである。

 医学教育は大学受験勉強の延長のようなものである。医学は考える学問ではなく記憶の学問なので、医学生はひたすら覚える。膨大な量の医学知識を暗記する。医学部の授業は毎日朝から夕方まで数科目あり、しかも毎日科目が違うのである。試験期間中は十数科目の筆記試験を受けなければならない。これが国家試験までのほぼ6年間続く。医学部の学生は、「理論的に考えること」を学ばず、「膨大な量の知識を記憶して、必要なときにどの部分を引き出すか」を学ぶのである。医師免許を取った後は、患者や看護師など医者に従う人たちに囲まれて仕事をし、エリート意識が高いまま「誰もが医者の意見に従うのは当然」という考えが刷り込まれてしまう。自分たちの既得権益を犯す行為には、自信を持ってごり押しとも言える主張をする。とにかく医者は強い、ごり押しが以外とまかり通ってしまうのである。