医学部のパワハラ事例

 (前回からの続き http://smedpi.hatenablog.com/entry/2014/03/30/152529

 医学部におけるパワハラの事例を新聞報道などからいくつか紹介する。中には、被害者の人生やキャリアを大きく変えてしまうほどの悪質な事例も存在する。

  まずは琉球大学医学部の3

l「研究で嫌がらせ受けた」/琉大医学部助教授、指導教授を提訴 琉球新報19991123日)

     琉球大学医学部のB教授から約8年間研究活動などで嫌がらせを受け、大学側もその嫌がらせに対し適切な措置を怠ったとして、同大のA助教授がB教授と大学側を相手取り、550万円の損害賠償を求める訴訟を22日、那覇地裁に起こした。訴えに対しB教授は「どういう訳か分からない。(嫌がらせ行為について)身に覚えがないことだ。中身が分からないので何も言うことはない」と述べ、柊山(ふきやま)幸志郎医学部長も「内容が良く分からないのでコメントできない」としている。訴状によると、A助教授は199110月ごろ、雑誌への論文投稿に際し、B教授から「自分も著者に加えないと論文発表を許さない」などの要求を受け、これを拒否したのが発端となり、物品購入や同大紀要への業績掲載の妨害、実験、事務機器利用妨害など数々の嫌がらせを受けたという。このためA助教授は九州まで出向いて研究をせざるをえない状況に追いこまれるなど「B教授の私怨、腹いせで学問研究の自由や人格権を侵害された」としている。

    那覇地裁2003212日、原告の訴えを認め、国に約55万円の支払いを命じた。教授への請求は棄却した。

 

l教授相手にきょう提訴/琉大医学部講師ら2人 琉球新報2001627日)

琉球大学医学部の不当な医局人事や研究妨害で、精神的苦痛などを被ったとし て、同大医学部講師と元研修医の二人が国と同大教授を相手に計2000万円の損害賠償を求める訴えを27日、それぞれ那覇地裁に起こす。訴状によると、元研修医は1997年に県立八重山病院に赴任中、人手不足に加え、切迫した家庭の事情などから応援医師派遣を要請したが、無視された上、その後の異動でも不当な扱いがなされたため退職。民間病院への転職でも妨害があったと主張している。背景として、当時着任した上司が97年に「医局からの三人退局で派遣先の離島関連病院から手を引く」と命令。一方で出身大学による不当な人事で局員が減少し、応援医師の派遣も事実上停止になるなどの事情があったと元研修医は主張している。
  
訴状では、医局専門医は96年から974月までの間は20人いたが、99年に六人に減少、2000年で八人の体制になっている。
  
もう一つの訴えで同大医学部講師は「上司の教授が権限を乱用して、外来診療の担当を妨害している」と主張。新規患者の割り当てから排除されたことで研究活動を制限され、医師本来の診療ができない不当、不合理な立場に置かれていると訴えている。          
 

 

時事通信 2013321日)                             

琉球大学21日、セクハラやアカデミックハラスメントをしたとして、医学部の50代男性教員を停職10カ月の処分にしたと発表した。処分は19日付。同大によると、教員は200710年ごろ、元大学事務職員の女性と女子研究生に対して繰り返し性的な発言をしたり、性的な関係を迫ったりしたほか、優位な立場を利用して指示を出したという。     

                  

賠償額が高額の東京女子医科大学事例

l東京女子医科大学助教授が退職強要などで主任教授を提訴 毎日新聞 2003104日)

昭和50年に脳神経外科助教授に昇任した後,昭和63年と平成4年に東京女子医科大学脳神経外科の主任教授選考が実施され,いずれにも応募したが選考から外れた。平成10年の主任教授選考は全国公募とされ,原告である助教授や被告教授を含む5名が立候補した。選考委員会はそのうち3名を主任教授会に推薦することとし,業績選考および面接選考が行われたが,原告は業績評価・面接評価・総合評価ともにいずれも5名中4位の評価であり最終候補者に残ることはできず,被告教授が主任教授に就任した。また,平成1011月から翌年にかけては大学付属病院脳神経外科部長(教授)選考が行われ,原告を含む4名が立候補したが,原告は選から漏れた。
   
被告教授は,平成1010月,主任教授に就任してすぐの脳神経外科職員会議において,スタッフの大改造を考えており定年までとどまる必要はないから自覚のある者は身の振り方を考えるべきとする旨の書面を配布し,原告はこの文書の対象は自分のことだと認識した。被告教授は,原告の同じ出身大学の1年後輩に当たり,原告と一緒に仕事をしていくのはかなりつらいという思いを持っていた。同年12月の医局忘年会でも,被告教授は,スタッフの中にお荷物的存在の者がいるので死に体で教室に残り生き恥をさらすより英断を願うという内容の書面を配布し,同様の趣旨のスピーチも行った。原告はこの文書の対象者は自分であると感じ,学長やその他の教授もこの文書を読んで対象者は原告であると察し,学長は後日,被告教授に対して注意をした。その2日後の定例職員会議では,被告教授が原告を批判する発言を行い原告と被告教授の口論となった。
   
原告は,平成1243日,被告大学学長に対して,職場ハラスメントを退職理由として,同年5月末付で退職する旨の退職届を提出した。学長や他の教授はこれを慰留したが,結局辞職するに至った。原告は,被告大学には雇用契約に基づき公正で平等な処遇をする義務を負うもので原告を教授に昇格させる義務があったと主張し,教授昇格差別による差額賞金や教授昇格されなかったことに対する慰謝料1000万円、退職強要行為により受給できなかった企業年金55559400円,退職金額17792434円,給与額65005100円,それから退職強要行為による慰謝料3000万円他などを求めた。

昇格差別に対しては原告の主張を退けたが、退職強要などのハラスメントを認め、大学は450万円を被告教授と連帯して賠償義務を負うものとされた。

最高裁第1小法廷(泉徳治裁判長)は14日、元助教授側の上告を棄却する決定を出した。大学と教授に総額450万円の賠償を命じた東京高裁判決(20032月)が確定した。12審は「侮辱的な言葉で退職勧奨した」と大学側の過失を認めたが、元助教授は「訴訟で大学の職場環境改善も求めたのに、2審が判断していない」などとして上告していた。

 

何かとお騒がせな横浜市立大学医学部で、被害者がTVで告発した事例 

l横浜市立大学医学部教授が講座所属の女性医師にセクハラ、パワハラ (2008年) 

朝のテレビ番組で被害女性が実名で告発。パワハラの内容は、患者の前で「CT取れ、そんなのも分らないのか」とののしった。セクハラの内容は、被害女性が教授の部屋を訪れた際に「そんなのじゃダメだ。もっと(性格が)丸くならなければ結婚できない」と発言した。 さらにパソコンを取り上げられた。大学の対応は非常に悪く、同大ハラスメント防止委員会に申し立てを行ったが、四カ月以上経過しても放置されたままで、大学側の調査姿勢が疑問視された。再調査を希望している被害者の弁護士は「質問はできない、異議申し立ての方法もない。これからどうするかも明示されていない。非常に納得できない」と憤慨していた。

TVで実名告発となると尋常ではない。相当の覚悟と怒りがあったはずだ。実際に大学の対応は相当にひどいもので、被害者は大学と戦う手段が他になかった。この事件の前に、この教授は同じ年の3月に、学位を取得した学生から現金を受け取って問題になっていた。横浜市立大学医学部では1/3にあたる22人の教員が、学位の見返りに謝礼金を受け取っていたことが、その後の調査で判明した。金額は300万円に達するものも存在し、中には学位と引き換えに露骨に謝礼金を要求する教授もいた。ハラスメントを行った教授の医局では、医局員11名が謝礼金の内部通報者の責任追及を求める「申入書」を大学に提出する異例の動きになったが、大学側は特に対応は行なっていない。本来保護されるべき内部告発者を追及する動きは異常な事態であった。

 (続く http://smedpi.hatenablog.com/entry/2014/04/11/110149