「医学博士」はチョロイ?

「全聾の作曲家であった佐村河内氏は実は作曲していなかった」という衝撃の事実が話題になっている。しかも、聾ではないとのこと。ワイドショーによると、音楽業界ではゴーストライターは珍しくないらしい。実は医学部も似たようなものだ。大学院生の医学博士論文を講師・准教授などが代わりに書くことはよくあることである。ただし、共著として論文に名前が乗るのでゴーストではない。いずれにしても、実力者でなければ誰かの代わりに書くことはできない。

 「医学博士」の取得は意外と簡単だ。ここに現在の医学部大学院の抱える問題点が存在する。一つは大学院生の質の低下である。その原因の一つは医学部出身者と他学部出身者の学力の大きな差にある。特に、国公立大学医学部出身者と私立大学他学部出身者の学力差が著しい。これは医学部の教員なら誰しも抱いているもどかしい思いであろう。大学院入学試験の筆記試験は修士・博士ともに語学試験(主に英語)が主である。どの大学も入学定員が多く、ほとんどの受験者が合格する。大学院生が多いということは大学の評価を高め、学内においては指導教官すなわち教授の評価が高まるので、出身学部を問わず、できる限り合格させる。そのために、試験問題は学力の低い受験者に合わせて易しい問題を出題する傾向がある。しかも、辞書持ち込み可なので相当に良い点を取れるはずである。さすがに医学部出身者は高得点を取る。他学部出身者の中には合格点にはるかに及ばない者がかなり存在するため、定員が満たされていなければ、採点を相当に甘くして底を上げて合格させている。医学部の大学院に合格する者が必ずしも学力が秀でているわけではないのだ。

 大学院入学後はどのように研究していくのか。修士課程入学者には人体の構造・メカニズムや疾患の基礎的なことを履修していない者がいるので、教授らによる医学の講義を、指定された単位受講する。並行して研究も行う。博士課程では、研究を主体にして、講演会や勉強会などへ指定された単位で参加する。大学院生が医師であれば臨床に従事している者が多いので、研究は夜間や休日に行うことが多い。医学部は研究費が十分にあるので(特に国公立の大学では)、研究補助員として非常勤や派遣研究員を多く雇用している。その者たちが大学院生の代わりに実験をし、アンケートの入力や集計を行っている。公衆衛生などの社会医学系(集団を対象として生活環境と疾患の関係を探る医学分野)の調査では、調査自体も人任せであることが多い。社会医学系講座はアンケート調査を研究の主体としているところが多く、実験はできないが「医学博士」を取得したい者にとっては好都合である。看護などの他学部出身者に非常に人気がある。データなどの入力作業は研究補助員が行い、指導教官がデータを分析し、場合によっては代わりに論文を書く。他人任せでも研究結果が出て論文が仕上がる。医学部出身の大学院生すなわち医師は、基礎系よりも臨床系講座に所属する者が圧倒的に多いが、研究のために一時的に基礎系講座に所属することもある。診療が終わってから、あるいは、自身の診療のない日や休日に実験などを行わなければならないので時間的余裕がない。そこで、研究補助員が代わりに実験を行う。論文を書く時間的余裕が無い者に対しては、指導教員が代わりに論文を書くこともある。つまり、「医学博士」は簡単に取得できる「博士」だということだ。

大学院生の質もさることながら、研究レベルの低下も医学部大学院の抱える問題点である。世界トップレベルの研究と低級な研究に二極化している。本来大学院への進学は、大学で熱心に勉学に励んだ者がさらにもっと勉強したい、興味のある分野で研究をしてみたいという強い思いで進むものであった。世界で一番良い研究を、世界で誰もしていない実験をしようと、夜遅くまで実験室や研究室でがんばっていた。生活のためにアルバイトをしながらも、大学院優先で、アルバイトはなるべく必要最小限に抑えていた。ところが今は、「医学博士」の安易な大量生産で研究テーマが干上がっており、研究内容は重みのないものが多い。しかも実験は他人任せで、論文も書けないという状況だ。学位論文を仕上げた後は教授数名による論文審査が行われる。研究内容や論文に関する口頭試問であるが、どんなにできが悪くても論文審査で不合格になることはない。審査自体が儀式と化している。

 大学院に進学する医師と他学部出身者の動機の違いは大きい。医師の場合は、「純粋に研究をしたい、医学をもっと勉強したい、教授になりたい、将来開業するときのためにステータスを高めたい」などが主な動機であろう。「なんとなく」あるいは「教授に勧められて仕方なく」という者もいるであろう。他学部出身者の場合、なぜ自分の専門分野ではなく医学部を選ぶのか。医学に興味があるからというよりも、「医学博士」という肩書きの社会的ステータスの高さに憧れて入学する者が多い。「研究費が豊富で楽に博士を取得できるから」という考えの者もいる。

平成22年度の文部科学省の「学校調査」では、医学部単独でのデータは示されていないが、全学部の大学院の博士課程入学者のうち40歳以降の者の占める割合は11.5%、50歳以降でも4.2%と予想外に高い割合を示している。意外と知られていないことだが、医学部博士課程入学者の中には4050代の他大学他学部の教員が存在する。すでに教員となっている者がなぜ医学部の大学院に入学するのか。二流・三流と思われる大学には「博士」を取得していない教員が存在する。特に新設ラッシュが続く看護などの医療系学部に多いが、理系・文系にも存在する。研究のための時間が取れない教員にとっては、楽に取得できる「医学博士」は魅力的である。また、「医学博士」の取得はキャリアアップに有利だと思われており、大学の教員を目指して医学部博士課程に入学する社会人も存在する。

 私は多くの大学院生を見てきたが、医師は基本学力・研究の理解力・データをまとめる力が優れているし、男女ともに体力もある。大学の規制緩和以前は大学院生の数はさほど多くはなく、ほとんどが医師であった。徹夜で実験をしたり、当直明けでもがんばっていたり、良い研究をしていたように思う。今は「医学博士」の大量生産と、それに伴う質の劣化が起こっている。いずれにしても、「医学博士」のステータスが高いなんて幻想である。

 

 

 

 

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