東京女子医大の業務上過失致死事件のもう一人の犠牲者

 

 和田寿郎は札幌医大を退職した後、東京女子医科大学に教授として迎えられ定年を迎えた。北海道で2例目の心臓移植が行われた。日本初の心臓移植「和田移植」の46年後であった。その裏側で行われた責任転嫁。 - 医学部教員の独り言

  その女子医大で起こった医療過誤について述べてみる。

  2001年に東京女子医大付属病院で起こった心房中隔欠損症の12歳の女児が死亡した事件で、二人の医師が証拠隠滅罪と業務上過失致死罪に問われた。当時の新聞各紙を要約すると次のとおりである。

 手術中に心臓をほぼ停止状態にするために、血液を体外のポンプや人工肺を通して循環させる人工心肺装置を使用する。の際、装置を担当していたS医師の操作ミスで血液がうまく循環せず脱血不良となり、少なくとも1520分間、血液の循環がストップした。女児は脳死状態に陥り、手術から3日目に死亡した。手術の担当医は両親に対し「人工心肺からの離脱に時間がかかった」として、装置のトラブルや、それによって引き起こされた脳障害の事実を説明せず、死因は「心不全」とされた。不審に思った両親は病院側に調査を要請。同病院が原因調査委員会を設置して担当医らから事情を聞いた結果、操作ミスが判明した。さらに、担当医は診療記録を一部改ざんしたうえで、遺族に「手術自体はうまくいった」と事実と異なる説明をしていたことも判明した。この執刀医は遺族の墓参りに訪れた際に、隠蔽の理由について「(手術に関係した)後輩医師を守るためだった」と説明したという。20026月、医療事故を隠すためにカルテ等を改ざんしたとして担当医が証拠隠滅罪で、人工心肺装置の操作ミスが脱血不良の原因であるとされS医師が業務上過失致死罪で逮捕された。担当医は2004322日に懲役1年執行猶予3年の有罪判決が確定。S医師は2009327日に無罪が確定し、「死亡原因と医師等の行為との間に因果関係はない」とされた。患者の死因である上大静脈の脱血不良は、「脱血カニューレの位置不良」であり、それが原因で循環不全が起こり、頭部がうっ血し致命的な脳障害が起きたとされた。この「脱血カニューレの位置不良」は、人工心肺装置を操作していたS医師の行為に起因するものではないため過失はないとされた。 逮捕・起訴から6年以上たっての無罪確定であった。

日経メディカル20113月号のインタビューによると、S医師は留置所で45日間を過ごし、逮捕により大学を追われ、保釈金のために2,000万円もの大金をかき集めなければならなかった。保釈の条件が「関係者に会ってはいけない」という内容だったので、30代の医師としての伸び盛りの時期に学会にも行けなかった。S医師は大学側のでたらめな調査報告書に対して、その撤回と謝罪を求めて2007年に訴訟を起こしており、201118日に和解が成立した。内容は大学が「衷心から謝罪」し、報告書に誤った記載があったことを認め、200万円の賠償金を支払うというものであった。結局、大学が患者の死の責任を一人の医師に押し付けたことを認めたことになる。S医師は人生を大きく狂わされ、小児循環器外科医としての夢も断たれてしまったが、200912月に開業し、新たな人生を送っている。

 手術の担当医が証拠隠滅の罪に問われるのはやむを得ないが、S医師は業務上過失致死という重い罪に問われたのである。病院の調査委員会がいい加減な調査を行って誤った結果を導いたのか、あるいは、S医師の操作ミスが原因ではないことがおおよそわかっていたが責任をなすりつけたのか。いずれにしても、大学側は責任を若い医師に押し付けたのである。おそらく大学側に良心の呵責は生じていなかった。なぜなら、これが医学部の体質だから。カルテの改ざんも珍しくはなかったのかもしれない。