北海道で2例目の心臓移植が行われた。日本初の心臓移植「和田移植」の46年後であった。その裏側で行われた責任転嫁。

 201416日、北海道大学病院(札幌市)循環器外科は、関東地方で頭部外傷のため脳死と判定された成人男性の心臓を20代男性に移植する手術を行った。北海道で心臓移植が行われたのは2例目であるが、1例目は45年前の1968年に札幌医科大学第二外科(胸部外科)で行われた。日本の脳死移植医療の発展を阻んだ元凶といわれる移植手術であった。

 この時の執刀医であったのが教授である和田寿郎である。移植を受けたのはリウマチ熱で心臓病を患い札幌医大病院第二内科に入院していた18歳の宮崎信夫。心臓を提供した、すなわちドナーは小樽の海岸で競泳中に溺れ、蘇生のために札幌医大病院に運ばれた21歳の山口善政であった。宮崎は移植後83日目に急性呼吸不全で死亡した。この国内1例目の心臓移植手術は殺人と言われても仕方のない多くの疑問点があった。実際、和田は1969年に殺人で告発されたが、翌年、嫌疑不十分で不起訴となった。要点は次の3つである。①山口が脳死ではなかった、②宮崎の心臓が移植を必要とするほどの最悪の状態ではなかった、③宮崎の死亡後、脳波や血圧などの記録が全く残されておらず、わずかに残っていた資料には改ざんが認められた。また、宮崎から摘出され病理検査に回された心臓の弁はすべて切り離され、その弁の一部は他人のものであった。つまり証拠隠滅を図ったことである。③の脳波の記録であるが、当時、山口の脳波などの測定を一人で担当していたとされたのは第二外科の研究生であった門脇裕医師であった。捜査を行った札幌地検の報告書には、高圧酸素室で山口の用手呼吸を行っていた門脇医師が「心停止で脳波を取ったが平坦で、体外で心臓マッサージを止めると心臓が止まり、もう駄目だ」と言ったため脳死と判断した、という和田の供述が記載されている。さらに病理検査に回された心臓の弁をくり抜いたのも門脇医師だとされている。第二外科の医師団の供述は、和田と通謀したかのように門脇医師に責任を押し付けるものであった。実際に口裏合わせを頻繁に行っていた。(「凍れる心臓」 共同通信社会部 移植取材班編著 共同通信社 1998年)

 なぜ門脇医師に責任を押し付けたのか?門脇医師は反発しなかったのか?できなかったのである。彼は宮崎が死亡した1029日から77日後の1969115日に、31歳の若さで胃がんのため病死したのである。殺人の告発を受け札幌地検が捜査を開始したのはその5ヶ月後である。門脇医師は高圧酸素室で用手呼吸を行っており、山口の心停止の判定を行うのに最も近かった医師で、責任を押し付けるのに格好の存在であった。捜査の結果、高圧酸素室内にいた門脇医師が、同時に外にある脳波計と心電図計を観察することはあり得ないことが判明し、和田らの供述の信憑性が疑われた。結局、ドナーである山口がすでに脳死であったのか、心臓摘出によって死亡したのか、いずれの証拠も得られなかった。殺人を証明する鍵を握っていた門脇医師の死亡によって「死人に口なし」となったわけである。門脇医師が生きていたらどう証言しただろうか。おそらく、山口が脳死であったと供述したであろう。医師団すなわち医局員は和田の意向にそって口裏合わせをせざるを得ない状況に置かれていたのであり、医学部の教授というのはそれほどの権力を持っているのである。そして、ほとんどの医局員はそのような状況に慣れてしまっている。

 悲運であった門脇医師に対して、和田はその後も強運な人生を歩んだ。これほどの事件を起こしても当時の医学界は和田をかばい、札幌医大を辞職した後、東京女子医大の教授として迎えられた。ここでもいろいろな軋轢があったものの定年まで勤め、20112月に88歳で没した。死の数年前には札幌医大で講演も行っている。和田はなぜ心臓移植を日本で最初に行わなければならなかったのか?その著書「ゆるぎなき生命の塔を」で、アメリカ留学中の同僚であったバーナード医師が1967年に南アフリカで世界初の心臓移植手術を行ったことで、自身は手術には批判的であったが、「先を越された」という感想を持ったと述べている。 

和田は30代で札幌医科大学の教授に就任し、移植当時は40代半ばの若き教授であった。和田の父も北海道大学の教授であり、和田自身も北海道大学医学部を首席で卒業している超エリートである。札幌医科大学は地方の公立大学であり、国立の北海道大学医学部に比べて格が落ちる。北大に対する対抗心もあったのではないかと思われるが、和田のプライドが命の倫理よりも功名心を優先したことは確かである。 

現在ではすべての医療行為は、原則としてインフォームドコンセント(説明と同意)に基づいて行われており、脳死の判定も厳格になっている。従って、殺人を疑われるような医療行為を組織的に行い、その責任の一端を病死した若き医師に押し付けるような非情な行為が起こることはないであろう。しかし、医療機関で過失が起こった場合、上司が部下である医師に責任転嫁することは今でも起こり得るのである。